┏┏┏┏┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━   ┏ ┏┏┏   海と風と砂丘からのふるさとメール内灘    ┏┏ ┏┏    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ┏┏┏ ┏        152号(平成27年11月27日)   ┏┏┏┏                       毎月第4金曜日発行         〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜         発 行:内灘町総務部総務課            TEL 076−286−1111            FAX 076−286−0617           E−mail uchinada@town.uchinada.ishikawa.jp         〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  今年も残すところ、あと1カ月程となりました。早いものですね。やり 残していることはありませんか。気持ちよく新年を迎えられるよう、片付 けられることは片付けてしまいましょう。  それでは「海と風と砂丘からのふるさとメール」第152号をお送りし ます。 ☆★☆第152号のメニュ−☆★☆ ◇元気内灘とれたて市 ◇内灘町総合美術展2015 ◇寒い季節こそプールで運動を! ◇北國新聞・内灘ニュース ==================================       *** これからの行事のお知らせ *** ○元気内灘とれたて市    地元で採れた新鮮な野菜・果物を販売します ■日時      12月6日(日)          午前8時〜10時(売切れ次第終了) ■場所      内灘町役場庁舎前広場         (雨天時はエントランス内) ■主催      河北郡市農業振興協議会内灘町支部 ■後援      内灘町 ■問い合わせ先  JAかほく営農経済部 電話番号 288‐7555 ○内灘町総合美術展2015    内灘町総合美術展を次のとおり開催します。力作の数々をぜひご覧くださ い。 ■会期      12月5日(土)〜9日(水)午前10時〜午後5時 ■会場      内灘町役場 1階町民ホール                6階町民ギャラリー ■作品      ・一般     絵画、工芸、書、写真          ・ジュニア   絵画・書 ■主催      内灘町文化協会、内灘町教育委員会 ○寒い季節こそプールで運動を!    だんだん気温が下がり寒い季節になってきましたね。寒いと外に出るのが 億劫になり運動量が減ってしまうと思います。そんな方は運動の選択肢とし て、プールはいかがですか。温水プールでは1年を通して同じ水温を保って おり、温かいジャグジーもご用意しております。利用料は1回400円(高校 生以下は200円)です。1カ月間何度でもご利用が可能な1カ月券は3,6 00円(高校生以下は1,800円)ととてもお得です!たくさんの方のご来 館を、スタッフ一同笑顔でお待ちしております。 ■問い合わせ先  内灘町屋内温水プールDUNE 電話番号 286−1800 ◆――――――――――――――――――――――――――――――――    //北|國|新|聞|* 内|灘|ニ|ュ|ー|ス|//     ― ― ― ―   ― ― ― ― ― ― ―  ―――――――――――――――――――――――――――――――― ◆ ---------------------------------------------------------------------- 01:17年ぶりに新制服 内灘高、創立30周年で 02:「生ける屍となっても帰る」 亡き父がシベリア抑留記 長女の加藤さん 03:フットサル場、来年11月に完成 内灘町が起工 04:音楽の楽しさ体感 内灘町清湖小でかがやき音楽団 05:交流のお礼、いわきに招待 内灘町の児童、来夏訪問を計画 06:幻の「子供遊園」構想 払い下げを願う草稿発見 粟ケ崎遊園の跡地 07:新小学校の校名募る 白帆台地区で2018年に開校 内灘町教委 08:復元のタイル画を公開 内灘町歴史民俗資料館 09:蓮徳寺の天井画186枚仕上がる 住職の遺志継ぎ、14年かけ    10:「北陸の宝塚」に思いはせ 内灘砂丘フェスティバル 純名里沙さん公演 ---------------------------------------------------------------------- 〈01〉2015年10月24日(土)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎17年ぶりに新制服 内灘高、創立30周年で  内灘高は来年、創立30周年の節目を迎えることに合わせ、来年4月から制 服を一新する(同校提供)。男女の上着は濃紺のブレザーとし、海に近い同校 がイメージカラーとしている「マリンブルー」の線を襟に引いた。  制服の更新は17年ぶりとなる。「大人らしい雰囲気」のデザインを採用し た。ワイシャツも白とマリンブルーの2色を用意し、男性はネクタイ、女性は リボンを付ける。  制服の変更は、1998年にジャケットの胸元に校章を施して以来となる。 同校は新制服のポスターを金沢、かほく、津幡、内灘の2市2町の中学校へ配 布した。 〈02〉2015年10月25日(日)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎「生ける屍となっても帰る」 亡き父がシベリア抑留記 長女の加藤さん  戦後、シベリア抑留を経験し、18年前に78歳で亡くなった父、小杉美明 (よしはる)さんの回想記を、長女の加藤清美さん(64)が内灘町の実家の 納戸で見つけた。生前、家族にも積極的に抑留体験を語らなかった美明さんだ が「平和な時代に生をうけし我が子、孫達の心に訴えるものがあれば」と、過 酷な強制労働の実態を克明に記していた。「生ける屍(しかばね)となっても 帰る」と望郷の念を支えに極寒の収容所を生き抜いた父をしのび、一家は戦争 の記憶を語り継ぐ思いを新たにしている。  手記は美明さんが65歳のころに書いていた。「悔やまれし半生の記」と題 され、21歳で召集されてから帰国するまでの8年間がつづられている。特に 4年間の捕虜生活については、スケッチ画も含めて詳細だ。  建築現場で基礎の穴を掘るも、氷点下35度の極寒の中、凍結した土地は火 をおこしても溶けない。朝食のスープは羊の出し殻の水ばかりで、昼食は黒パ ン1個。栄養失調で作業効率が低下し、ソ連人監督から容赦ない鞭(むち)が 飛んだ。「家畜の牛や豚のようにうつむき加減に歩く様は我ながら情けなく、 涙さえ出ない」とある。  血便、嘔吐(おうと)に悩まされ、医務室行きになるも追い返された時には、 金沢の母の顔が浮かんだ。  「何ら苦もなく母の愛一筋に育ったことが遠い昔の夢と消えたが、私は常に 『生命されあれば何年抑留されようが、いつかは祖国へ生ける屍となっても還 (かえ)られる』とただ一筋にそれを心に念じ続けた」  「日本にも太陽があるか」と聞いてきたソ連兵に太陽と地球の関係を説明し たこと、ソ連人少年に算数を教え、礼にと家庭に招かれた意外な交流もつづっ た。  手記は追記もあり、帰国する船で、旧満洲国境付近で日本軍とソ連軍の間で 起きたノモンハン事件の生き残り兵を見たと証言している。大本営発表で全員 玉砕となっているために帰国できず、ソ連の女性と結婚したと聞いたとし、最 後まで戦争の非情さを思い知らされたという。  手記は今月、清美さんが探し出した。本紙の戦後70年の記事を読み、美明 さんが「体験記を残しておく」と話していたことを思い出したという。約80 ページにわたる長文を読み切った清美さんは「あまりに過酷だった父の青春を 知り涙が出た」と話し、美明さんの妻たか子さん(86)は「戦後70年を機 に、生きていたら、戦争の大変さを語りたかったはず」としのんだ。  美明さんは帰国後、国鉄の仕事一筋に生きた。長男の小杉千輝(ちてる)さ ん(62)は、晩酌の折、父がシベリアでの体験を少しだけ語ったのを覚えて いる。祖国の地を踏むことなく亡くなった戦友の顔が思い浮かんだのか、「戦 争は駄目や」で話は終わった。千輝さんは「父親の思いを伝えていきたい」と 手記を一家で継いでいくつもりだ。 〈03〉2015年10月30日(金)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎フットサル場、来年11月に完成 内灘町が起工  内灘町は29日、宮坂の町総合公園で屋内多目的広場の建設に着手した。4 月に完成したサッカー競技場の隣にフットサル場を新たに整備する計画で、来 年11月末の完成を目指す。  屋内多目的広場は平屋建てで、国際試合公式サイズに適合したフットサルコ ート1面と管理棟を建設する。延べ床面積は1864平方メートルで、コート には最高級の人工芝を導入する。総事業費は約5億円。利用料金などは今後決 定する。  建設地で行われた起工式で川口克則町長は「雨や、雪の季節でも町民が気軽 に運動できるようになる」と述べ、町民の生涯スポーツ活動の拠点がさらに厚 みを増すことに期待を寄せた。米田昭夫県議、生田勇人町議会議長が祝辞を述 べた。  町総合公園は1975(昭和50)年にオープンし、野球場、芝生広場、テ ニスコート、屋内温水プールなどを備える。 〈04〉2015年11月02日(月)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎音楽の楽しさ体感 内灘町清湖小でかがやき音楽団  北陸新幹線開業を機に、東京で活動する作曲・編曲家北方寛丈さん=内灘町 出身=が設立した「かがやき音楽団」のワークショップ(本社後援)は1日、 同町清湖小で開かれ、地元をはじめ、能登や加賀、富山県などから集まった約 30人が音楽の楽しさを体感した。  ワークショップは3部構成で行われ、打楽器・作曲を手掛ける和田啓、スー ダンの民族楽器「ウード」の奏者常味裕司、ボーカル・作曲の松本泰子の音楽 家3氏が講師を務めた。  第3部の松本氏は、リラックスする声の出し方や歌うための訓練を指導した。 「体は一番シンプルな楽器だ」と説明した上で「体を鳴らすイメージで声を出 してほしい」と伝えた。講師陣によるミニライブも行われた。 〈05〉2015年11月11日(水)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎交流のお礼、いわきに招待 内灘町の児童、来夏訪問を計画  東日本大震災の被災地支援活動を続けるボランティア団体「グッジョブ内灘」 は来年夏、内灘町の児童と福島県いわき市を訪問する計画を進めている。いわ き市の清水敏男市長が「内灘での交流のお礼として招待したい」と申し出て、 両市町関係者が調整を進めることになった。グッジョブ内灘は児童が被災地の 現状を肌で知り、交流が深まると期待している。  内灘町では2013年から、いわき市久之浜第一小の児童らを招いて交流を 重ねてきた。当初は町子ども会連絡協議会が福島の子どもたちに外で思い切り 遊んでもらおうと交流事業を企画し、14年に連絡協議会の中心メンバーらが 「グッジョブ内灘」を設立し、事業を引き継いだ。  交流は毎年7月、3泊4日の日程で行われ、両市町の児童が地引き網や町民 夏まつりでYOSAKOIソーランを踊るなどして友情を育んできた。いわき 市の清水市長は1回目の事業から協力しており、内灘の児童をいわき市に招く 交流事業を提案した。  いわき市側のスタッフが決まり次第、両市町の関係者が意見交換して12月 末までに交流場所や内容などを決める予定となっている。グッジョブ内灘の宮 前貴男理事長は「いわき市での交流がぜひ実現するよう期待している。内灘の 子どもたちが被災地を見て、実情を感じ取る機会にしたい」と話した。 〈06〉2015年11月13日(金)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎幻の「子供遊園」構想 払い下げを願う草稿発見 粟ケ崎遊園の跡地  内灘町で戦前に栄えた粟ケ崎遊園の跡地や建物を戦後、「子供遊園」として 活用する構想があったことが、開園90年の節目に明らかになった。1951 (昭和26)年、当時の内灘村長が子供遊園設置のため国に設備の払い下げを 願い出た文書の下書きが、同町で見つかった。村を二分した「内灘闘争」の前 年、砂丘地に浮かんで消えた幻の計画の存在が初めて分かり、研究者も関心を 寄せている。  「北陸の宝塚」と称された粟ケ崎遊園は今年、開園90年を迎えた。内灘町 は14日から同町歴史資料館「風と砂の館」で開催する記念企画展に向け、同 館の所蔵資料を調査しており、10月に中江麻代学芸員が今回の資料を見つけ た。  資料は47〜53年に内灘村長を務めた中山又次郎氏(1885〜1981) の書簡の下書きで、昭和26年の年号を記し、宛名は「オリンピック博覧会事 務局長」となっていた。  51年4〜5月、粟ケ崎遊園跡地では、戦後の日本が五輪に復帰を果たした 52年のヘルシンキ五輪を前に「オリンピック観光博」が開催され、51日間 の会期に20万人超が訪れたとされる。  書簡で中山氏は、五輪博の開催は地元発展に有益であり「村民一同歓喜して いる」と謝意を示した上で、閉会後は「設備運動具一切を本村子供遊園施設の 方へお払い下げの様御取り計らい下さる事」と要望している。村内に保育所2 カ所、小学校3校、中学校2校があると書き添え、遊園設置に理解を求めた。  後に運輸大臣を務めた旧高浜町出身の衆院議員南好雄氏(1904〜80) に払い下げの口添えを依頼する書簡の下書きも見つかり、中山氏が構想実現に 向けて諸方面に働き掛けていた様子がうかがえる。  経緯は不明だが、構想は実を結ばなかった。翌52年9月、内灘砂丘を米軍 試射場として接収することに反対する内灘闘争が起こり、中山氏は折衝の矢面 に立った。中山氏が村長辞職後、63年に郷土史家として編んだ「内灘郷土史」 では構想に触れていない。内灘町史にも記述はなく、構想は歴史の影に埋もれ て今では知る人もいなくなった。  石川の近現代史を専門とする本康宏史金沢星稜大教授は、文面から書簡は実 際に宛先に送られたと判断できると指摘し、「建物を残して町の文化施設とし て活用しようとした意図があったことがうかがえる。粟ケ崎遊園の資料として 大変貴重な文書だ」と評価した。 ●風と砂の館の企画展で公開  風と砂の館は14日に始まる粟ケ崎遊園90周年企画展「甦(よみがえ)る 孔雀(くじゃく)〜モダンガールの夢の跡〜」で今回の資料を公開する。12 月13日までの同展では、遊園本館大浴場に飾られ、町民ボランティアが今年 復元したクジャクのタイル絵や、当時のポスターなども展示する。 ★〔粟ケ崎遊園(あわがさき・ゆうえん)〕  材木商として財をなした平澤嘉太郎が1925(大正14)年、内灘町と金 沢市にまたがる6万坪(19万8千平方メートル)の砂丘地に建設した遊園地。 500人収容の劇場や動物園、大浴場、料亭を備え、少女歌劇団の人気から 「北陸の宝塚」と称された。41年に閉園し、51年のオリンピック観光博後、 建物は解体、移築された。現在は往時の面影を残すものはほとんどない。 〈07〉2015年11月14日(土)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎新小学校の校名募る 白帆台地区で2018年に開校 内灘町教委  内灘町教委は、白帆台地区で2018年(平成30)年4月の開校を目指す 新小学校の校名について募集を開始した。  同校は現在設計が進められており、内灘海岸が広がる町の小学校らしく、帆 船の帆やウインドサーフィンやヨットのセイルをイメージした外観とする予定。 県内で児童数の増加に伴って新設される小学校は、07年の金沢市杜の里小以 来となる。  応募資格は町内在住か、勤務先がある人で、校名のほか、命名の由来、応募 者の名前、住所を記載して郵送、ファクス、メールのいずれかで町教委学校教 育課に送ればよい。締め切りは30日まで。問い合わせは同課まで。 〈08〉2015年11月15日(日)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎復元のタイル画を公開 内灘町歴史民俗資料館  内灘町歴史民俗資料館「風と砂の館」で14日、戦前に栄えた遊園地「粟ケ 崎遊園」開園90周年記念企画展「甦(よみがえ)る孔雀(くじゃく)〜モダ ンガールの夢の跡〜」が始まった。来場者がクジャクのタイル画や旅館の鬼瓦 など、粟ケ崎遊園ゆかりの未公開資料に見入った。  粟ケ崎遊園は1925(大正14)年、金沢市と内灘町にまたがる砂丘地に 開園し、太平洋戦争で41(昭和16)年に閉園するまで娯楽の地としてにぎ わった。展示会は、23日の内灘砂丘フェスティバル(同実行委主催、北國新 聞社共催)に合わせて企画された。  会場では、中江麻代学芸員が、粟ケ崎遊園には当時の最先端のファッション に身を包んだ若者が多く集まり、同園が流行の発信地だったと解説した。  ボランティアによって9月に復元された同園大浴場にあったクジャクのタイ ル画や粟ケ崎遊園のシンボルマークが描かれた鬼瓦などが来場者の注目を集め、 内灘町内にある同園跡地を巡るツアーも開催された。企画展は12月13日ま で。 〈09〉2015年11月20日(金)北國新聞夕刊----------------------------☆ ◎蓮徳寺の天井画186枚仕上がる 住職の遺志継ぎ、14年かけ  内灘町宮坂の真宗大谷派蓮徳寺の天井を彩る日本画のパネル186枚が、制 作開始から14年間をかけて全て仕上がった。前住職の齋藤専一さんが「寺に 訪れる門徒や町民に楽しんでもらいたい」と知人らに呼び掛け、有志3人が百 人一首の歌人や動物、花などの絵をボランティアで描いた。齋藤さんの急逝後、 日本画愛好家の中居由起さん(39)=同町宮坂=が遺志を継いで絵筆を握り、 最後の21枚を描き上げた。 ●動物や花描く  蓮徳寺の天井画は、中居さんら絵心のある町民有志3人が2001年から描 き始めた。当初は花をモチーフに縦60センチ、横65センチの木のパネル9 0枚を仕上げ、02年に本堂の天井に取り付けた。  03年には内陣の天井画制作に取り掛かり、日本画が趣味の北川清一さん= 内灘町宮坂=と中居さんが動物をモチーフにパネルを描き始めた。しかし、0 6年に北川さん、07年に齋藤前住職が亡くなり、中居さんが2人の遺志を継 ぎ、仕事の合間に絵を描き続けた。  中居さんの描いた天井画は、和紙にイノシシやサル、キリンを描き、板に貼 り付けて仕上げた。天井画は10月25日、宮坂公民館文化祭で披露され、現 在は同公民館に保管されている。  24日に天井画を蓮徳寺に寄贈する中居さんは「無事、全て描き上げられ、 前住職との約束を果たすことができた。天井に掲げられたら、ぜひ多くの人に 見てほしい」と話した。  現住職の齋藤龍さん(43)は「きれいな天井画を描いてくれて感謝してい る。できるだけ早く、天井に飾りたい」と喜んだ。 〈10〉2015年11月24日(火)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎「北陸の宝塚」に思いはせ 内灘砂丘フェスティバル 純名里沙さんが公演  内灘砂丘フェスティバル2015(同実行委主催、本社共催)は23日、内 灘町文化会館で行われた。戦前に「北陸の宝塚」とうたわれた遊園地「粟ケ崎 遊園」の開園90周年に当たることから、元宝塚の女優、純名里沙さんを招い たコンサートなどを開催し、町民ら約600人が当時の隆盛に思いをはせた。  少女歌劇団のショーや大衆演劇、コメディーなど多彩な演目で人気を博した 粟ケ崎遊園をなぞり、フェスティバルは「浪漫(ろまん)劇場ショウ」と題し、 座談会と創作日本舞踊孝藤(たかふじ)流の孝藤右近さん、孝藤左近さんらの 舞台、お笑いコンビ「ぶんぶんボウル」のトークライブ、純名さんのコンサー トの4部構成で行われた。  座談会では、コーディネーターの本康宏史金沢星稜大教授が1940(昭和 15)年に宝塚歌劇団が実際に粟ケ崎遊園で公演していることを紹介し、純名 さんは「北陸の地にこんな素晴らしいワンダーランドがあったことを初めて知 った。多くの人に紹介したい」と話した。竹田菊夫町文化財保護審議会長もパ ネリストを務めた。  純名さんはコンサートで「パート・オブ・ユア・ワールド」など8曲で伸び やかな歌声を披露し、アンコールは主演したNHK連続テレビ小説「ぴあの」 の曲を歌った。 ----------------------------------------------------------------------- ・この記事は北國新聞の記事データベース「ホッコクシンブン・ドットコム」  から抽出しました。申し込みはhttp://www.hokkokushimbun.com/まで。 ・北國新聞「内灘ニュース」の記事本文はすべて北國新聞社の著作物です。コ  ピーや加工、再配付はしないでください。 ・「海と風と砂丘からのふるさとメール内灘」の申し込みや解除は内灘町や 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