■□■□■ □■□■                                ■□■       『つばたメール1・2・SUN』       ■□■           第149号(2015・8・27)     ■□■□                               ■□■□■                             毎月第4木曜日発行      今年は、10月1日を基準日として日本に住んでいるすべての人を対象とし た「国勢調査」が行われます。  結果は行政資料や人口データとして幅広く活用されますので、皆さまのご回 答をよろしくお願いします。  今回は、パソコンやスマートフォンからオンライン回答ができるようになり ました。詳しくは9月10日から配布される資料をご覧ください。                         ――――――――――――――――――――――――             発 行: 津幡町総務部企画財政課                  石川県河北郡津幡町字加賀爪二3番地                  TEL 076−288−2158                  FAX 076−288−6358             E-mail: kikakuzaisei@town.tsubata.lg.jp            ―――――――――――――――――――――――― ―――――――――――― 第149号 目 次 ――――――――――――                      ふるさとニュース 全国中学校体育大会 上位入賞者が成績を報告 イベントガイド  人形劇ミュージカル「オズの魔法使い」 ほか       北國新聞・津幡ニュース    ――――――――――――― ふるさとニュース ――――――――――――    ■全国中学校体育大会(陸上競技)  上位入賞者が成績を報告(8月26日)     津幡南中学校3年生の小笠原朱里さん(中橋)と同中学校2年生の澤井柚葉 さん(中須加)が8月26日に町役場を訪れ、全国中学校体育大会の結果を矢 田町長に報告しました。  全国中学校体育大会とは、日本中学校体育連盟が主催するスポーツの全国大 会のことで、中学生では国内最高峰の大会になります。  小笠原さんは女子陸上1500m走で全国優勝、澤井さんは女子陸上800 m走で全国3位という輝かしい成績をおさめました。  小笠原さんは「苦しいレースだったが、優勝できて嬉しかった」澤井さんは 「入賞と自己ベストを更新できて嬉しい。将来はオリンピックに出場したい」 と喜びと抱負を語りました。  矢田町長は「心からお祝いします。今後も中心となって津幡町の陸上を引っ 張っていただきたい」と期待を寄せました。  2人は10月に神奈川県で行われるジュニアオリンピックに出場します。 ―――――――――――――  イベントガイド ――――――――――――   ■人形劇ミュージカル「オズの魔法使い」   各地の観客を魅了する人形劇俳優「たいらじょう」の最高傑作!   ご家族そろって是非ご覧ください!  【日 時】 8月29日(土) 14時開演 ※13時30分開場  【場 所】 シグナスホール  【入場料】 一般2,500円、中学生以下1,500円(全席指定)        ※シグナス窓口で2枚以上購入すると、1枚につき500円         割引します    【販売・問合先】 シグナス 電話 076−288−8526 ■親子ふれあいコンサート   吹奏楽団「シグナス・ウインド・オーケストラ」による、歌あり、踊りあ  りの楽しい演奏会です。  【日 時】 9月5日(土) 10時30分〜  【場 所】 シグナスホール  【入場料】 無料  【問合先】 シグナス 電話 076−288−8526    ■津幡・津幡南中学校吹奏楽部 定期演奏会  【日 時】 津幡中学校  9月13日(日) 14時〜        津幡南中学校 9月21日(祝) 14時〜  【場 所】 シグナスホール  【入場料】 無料  【問合先】 津幡中学校  電話 076−289−2213        津幡南中学校 電話 076−288−7420 ■カレー&スイーツ選手権     県内人気店のカレーが一杯500円で食べ比べできるほか、地元食材など  を使用した各種デザートも販売されます。  【日 時】 9月20日(日)・21日(祝) 各日10時〜16時        ※カレーの販売は11時から  【場 所】 金沢駅東もてなしドーム地下広場  【問合先】 企画財政課 電話 076−288−2158 ――――――――――――――――――――――――――――――――     /北/國/新/聞/* 津/幡/ニ/ュ/ー/ス/ ―――――――――――――――――――――――――――――――― ---------------------------------------------------------------------- 01:災害時に物資を供給 津幡町とコメリが協定 02:長崎原爆「やっぱり誰かに話さんと」五輪競歩・齋藤さんの妻  03:津幡町の2060年人口目標は3万5800人 創生会議初会合 04:国際交流に期待膨らませ 津幡町の中学生10人、オーストラリアに出発 05:貯金通帳に残る弾痕 津幡町の森川さん「お金より父がいたら」 06:社会担う決意新たに 津幡町、夏の装いで成人式 07:ろうそく7千本、感謝の明かり 津幡町の倶利迦羅不動寺で万灯会 08:「小坂さん」が娘の元へ 本紙報道の持ち主不明写真「津幡に同姓同名」 09:津幡町で「おしゃれ農業」 河合谷地区で東京の企業と中央大が研究 10:看護大生と住民が避難手順を確認 津幡町興津で訓練 ---------------------------------------------------------------------- 〈01〉2015年08月01日(土)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎災害時に物資を供給 津幡町とコメリが協定  津幡町とコメリ災害対策センター(新潟市)は31日、災害時の物資供給に 関する協定を締結した。  大規模災害が起きた際、コメリ側が津幡町に食料や作業品、日用品などを提 供する。県内では県や羽咋市などと同様の協定を結んでおり、津幡町は7番目 となる。  町役場で協定締結式に臨んだ矢田富郎町長は「町民の安全安心につながる」 と述べ、コメリ北陸地区本部の二宮茂實ゾーンマネジャーは「物資供給では東 日本大震災などで実績もあり、万一の時は迅速に対応する」と語った。 〈02〉2015年08月09日(日)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎長崎原爆「やっぱり誰かに話さんと」五輪競歩・齋藤さんの妻   「原爆、忘れてくれんか」。1964年東京、68年メキシコ両五輪の競歩 に出場した齋藤和夫さんの言葉が、妻早苗さん(79)=津幡町潟端=の耳に 残る。疎開先の長崎で被爆した早苗さんは選手育成に打ち込む夫を気遣い、被 爆の事実を家族以外には伏せてきた。和夫さんは2006年に63歳で他界し た。「やっぱり誰かに話さんと」。長崎の原爆投下から9日で70年。口にで きなかった悲惨な体験を次代につなぐ思いを強くしている。  「長崎市坂本町 爆心地から0・7キロメートル」。ぼろぼろになった被爆 者健康手帳には、そう記録されている。  1945年8月9日、9歳だった早苗さんは母方の祖父母のもとに疎開して いた。2回目の空襲警報で避難し、午前11時すぎ、裏山の小屋で5、6機の 飛行機が頭上を通過するのを見た。「真っ白できれい」。そう思った瞬間、小 屋にいた祖母に腕を引っ張られ、気を失った。  小屋から出ると、山は焼け、熱風が吹き付けていた。空は真っ黒で、やけど で男女の判別ができない人々が山を登ってきた。防空壕(ごう)は満杯になり、 水を求める負傷者の声が途切れなかった。  「かわいそうなのは声も出せない人だった。やけどで目が見えず、口もきけ ないのに『水をちょうだい』と言っているようだった。あの声のない声は忘れ られない」  その後、母がいる兵庫に戻り、大阪に移り住んだ。セールスの仕事に就き、 知人を通して知り合ったのが和夫さんだった。被爆の影響か、めまいや吐き気 が続いたが、和夫さんが背負って病院に連れていってくれた。和夫さんは被爆 の事実を受け入れ、早苗さんが30歳の時に結婚、2人の子どもに恵まれた。  和夫さんは現役引退後、日本陸連の強化部長を務め、合宿などで多くの選手 が津幡町の家を訪ねるようになった。早苗さんが原爆のことを忘れるように言 われたのはそんな時だった。  「原爆のことを思い出すたび、胸がつぶれそうになり、声が出なくなる。そ れなら『忘れてくれんか』ということだった。若い選手が私を心配しないよう に気を遣ったのかもしれない」  和夫さんが亡くなった2006年、早苗さんは石川県を通じて国に原爆症の 認定を申請、11年に認められた。早苗さんは「若い世代にあの惨状を話して も、伝わるかどうか」と思い悩む。それでも「戦争したら駄目ということだけ は言いたい」と語気を強めた。  石川県健康福祉部によると、県内で原爆症に認定されているのは現在9人と なっている。県内で被爆者健康手帳を持つ人たちでつくる「県原爆被災者友の 会」の西本多美子事務局長によると、差別や偏見を恐れて、被爆の事実を子ど もにも伝えない人もいるという。 〈03〉2015年08月11日(火)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎津幡町の2060年人口目標は3万5800人 創生会議初会合  津幡町まち・ひと・しごと創生有識者会議の初会合は、町役場で開かれ、町 側は2060年に3万5800人を目指す人口ビジョンの骨子案を示した。  現在の町人口は約3万7千人で、国立社会保障・人口問題研究所の推計をも とにしたシミュレーションでは2060年に約3万人に落ち込む見通しもある。 有識者会議では人口減を抑制して目標を達成するために、働く場の創出、子育 て支援の充実など各種施策を求める意見が出された。  町では有識者会議を2、3回程度開催し、10月の策定を目指す町総合戦略 に反映させる。 〈04〉2015年08月14日(金)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎国際交流に期待膨らませ 津幡町の中学生10人、オーストラリアに出発  津幡町中学生海外派遣交流事業の出発式は13日、町文化会館「シグナス」 で行われ、津幡、津幡南中の2、3年生10人がオーストラリアで過ごす文化 体験に期待を膨らませた。  矢田富郎町長が「日本とオーストラリアの文化の違いを勉強してきてほしい」 とあいさつし、向正則町議会議長が激励した。グループリーダーの竹内凜さん (津幡南中3年)が「積極的に交流してきます」と決意表明した。  生徒は豪州北東部のタウンズビル市を訪れ、両校と姉妹校の公立中高一貫校 「ノーザン・ビーチス・ステート・ハイスクール」で授業を受ける。現地でホ ームステイし、22日に津幡町に戻る。北國新聞社社会部の岡部亮佑記者が同 行、取材する。竹内さん以外の派遣生徒は次の皆さん。  ▽津幡中3年 西田光佑、堀内翔太、宮本奈乃葉▽同2年 荒井結愛、西嶋 日向子▽津幡南中3年 越村琳、竹田響▽同2年 西藤絢乃、花島鈴菜 〈05〉2015年08月14日(金)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎貯金通帳に残る弾痕 津幡町の森川さん「お金より父がいたら」  色あせた貯金通帳の上部に引き裂いたような弾痕が残る。「お父さんが銃で 撃たれた痕だよ」。森川茂一(しげかず)さん(76)=津幡町瓜生(うりゅ う)=は幼いころから、母はつえさん(故人)に幾度もこう聞かされた。34 歳だった父善吉(ぜんきち)さんは1941(昭和16)年、中国で銃撃を受 けて戦死した。「お金より父が生きていてくれたら」。遺骨とともに家族の元 へ戻った通帳を手にするたび、茂一さんは戦地から家族を心配した父に思いを めぐらせる。  通帳は縦17センチ、横30センチの四つ折りで、表紙には「郵便貯金通帳」 の文字や、善吉さんの名前と住所が書かれている。中には5円や50銭の軍票 が一緒に折り畳まれて入っていた。通帳には、毎月30〜60円ほどの入金が 記録されている。当時、東京の公立小学校教員の初任給が50、60円だった。 戦死した時には計約400円が貯(た)まっていた。  善吉さんは、河合谷村瓜生(現津幡町瓜生)で炭焼き職人として働いていた。 友人と漫才を披露し、いつも宴会を盛り上げて周囲を楽しませる人だったとい う。召集を受けた善吉さんは1940年7月20日、舞鶴海兵団に入隊した。 前日の19日、もうすぐ1歳になる茂一さんは母に背負われ、姉とともに、七 尾線高松駅で父を見送った。  41年11月12日、善吉さんの部隊は中国広東省で交戦した。善吉さんは 船から上陸しようとして、頭部と左足に銃弾を受け亡くなった。遺骨は遺品の 詰まったトランクとともに家族の元へ戻され、善吉さんの葬儀は村を挙げて営 まれた。  弾痕の残る貯金通帳は血の痕こそないものの、右上から左側へ斜めにくっき りと8センチほど破れている。通帳が入っていた封筒には、彈跟(だんこん) と記した紙が貼り付けられ、戦地から返ってきた。それを見て、はつえさんは 通帳を肌身離さず持っていた善吉さんが戦死した時の痕と説明していた。  「家族に何かあったら、いつでもお金を使えるよう持ち歩いていたのだろう。 離れていても自分たちのことをしっかり思ってくれていたのかな」。茂一さん は通帳の破れ目を手でなぞりながら、寂しそうにつぶやいた。  村では「海軍の子」と呼ばれ、かわいがられたが、戦地から生還した家族と 歩く友だちの姿を見るのはつらかったという。茂一さんは「遺族年金などお金 は入ってきたが、それよりおやじに帰ってきてほしかった」と振り返る。  「これが父の思い出」。遺品の通帳には、戦地から家族に寄せた善吉さんの あふれる愛情が、今も弾痕とともに刻まれている。 〈06〉2015年08月16日(日)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎社会担う決意新たに 津幡町、夏の装いで成人式  津幡町の成人式は15日、町文化会館「シグナス」で行われ、対象者539 人のうち408人が式典に臨んだ。スーツやはかまに加え、浴衣や薄手のドレ スといった夏の装いに身を包んだ新成人が、社会を担っていく決意を新たにし た。  同町は県内で唯一、旧盆に成人式を行っている。矢田富郎町長が地域や社会 の発展を託し、新成人代表の玉谷克(かつみ)さんと嶺出雅輝さんが「目標に 向かって常に新しいことに挑戦し続ける」と決意を述べた。  小谷達也さんと川下拓也さんが新成人を代表し平和宣言した。焼田宏明県議 と向正則町議会議長も祝辞を贈った。 〈07〉2015年08月16日(日)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎ろうそく7千本、感謝の明かり 津幡町の倶利迦羅不動寺で万灯会  仏や先祖に感謝し、供養する法要「万灯会(まんとうえ)」が15日、津幡 町竹橋の真言宗倶利迦羅不動寺西之坊鳳凰(ほうおう)殿で営まれ、灯明(と うみょう)や灯籠(とうろう)の幻想的な明かりに包まれた境内で参拝者が静 かに祈りをささげた。  今年は身近な人に感謝を込める高さ約2メートルの「感謝の塔」が新設され た。関係者が境内に並べられた約7千本のろうそくをともすと、夕闇に寝殿造 りの寺院が浮かび上がった。五十嵐光峯(こうほう)住職の護摩法要に続き、 参拝者は境内中央の「大心池(たいしんいけ)」に送り火の付いた灯籠を流し、 手を合わせた。  越中弦奏楽若林流宗家の若林美智子さんが胡弓(こきゅう)を演奏し、子ど もたちの「ちょうちん行列」も行われた。 〈08〉2015年08月18日(火)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎「小坂さん」が娘の元へ 本紙報道の持ち主不明写真「津幡に同姓同名」  金沢ゆかりの元日本兵のものとみられ、持ち主が分からなくなっていた写真 が、写真の人物の娘に返されることになった。写真の人物を探していることを 報じる16日付本紙朝刊を読んだ金沢市橋場町の元中学校長竹澤秀雄さん(8 5)が「津幡出身の小坂二一郎(にいちろう)さんではないか」と気付き、1 7日、東京都西東京市で暮らす小坂さんの三女大畑ひとみさん(60)に連絡 し、大畑さんが「父に間違いない」と確認した。大畑さんは写真を引き取るこ とを決め、取材に対し「家族の元へ帰ってきたかったのかな」と喜んでいる。  写真は、沖縄県で戦争史料展示施設を運営する林丈智さん(43)が米国人 の友人から託されたもので、写真の下部に「YONEDA KANAZAWA」 「小坂二一郎」と書かれている。  竹澤さんは井上村川尻(現津幡町川尻)の出身で、16日付本紙朝刊を読ん だ際、写真の男性が同郷の小坂二一郎さんと同姓同名であることに気付き、津 幡町史などの資料や川尻在住の旧友らから情報を集めた。地元で写真の男性が 小坂さんだと分かる人を見つけられなかったが、東京で暮らす小坂さんの娘の 大畑さんを知り、17日に電話で連絡を取った。  竹澤さんが調べたところによると、小坂さんは1918(大正7)年に小坂 仁佐吉(にさきち)さんの長男として生まれた。戦時中は満州へ出征し、復員 後は津幡町教委で働いた。竹澤さんが町の小学校教諭に採用されたとき、小坂 さんが竹澤さんの家を訪れ、赴任先を教えてくれたことがあったという。趣味 は絵を描くことで、津幡町井上小には現在も小坂さんが76年に寄贈した「赤 富士」が飾られている。  小坂さんの娘の大畑さんによると、小坂さんは津幡町教委を退職した後、5 7年に東京へ移転し、公認会計士事務所を開業した。教育には厳しく、大畑さ んは「悪いことをすると庭に放り投げられたこともあった」という。小坂さん は86年に心臓の病気で67歳で亡くなった。  大畑さんは17日、父とみられる写真を持つ林さんに連絡し、軍帽と共に東 京の自宅へ郵送してもらう約束をした。大畑さんは「写真の男性の顔は鼻筋や 目元など、父に全て似ている。戦後70年の節目に、このような機会に恵まれ てうれしい」と感慨深げに話した。 〈09〉2015年08月22日(土)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎津幡町で「おしゃれ農業」 河合谷地区で東京の企業と中央大が研究  富山との県境近くの山間部に位置する津幡町河合谷地区で、東京のデザイン 会社が地域活性化事業の研究に乗り出す。中央大の学生も協力し、地域変革の 鍵となる「若者、よそ者、ばか者」の視点で集落の魅力を掘り起こす。事業の 一例としてデザイン分野のノウハウを生かした若者好みの「おしゃれな農業ス タイル」を研究する方針で、成果は津幡発の地域創生モデル事業として全国発 信を目指す。  企業のブランディング、広告デザインの提案などを行う「エーミライトデザ イン」(東京)が研究を進める。金沢オフィスを構えており、これまで靴のリ ーガルやエステのTBCの販促、鳥取県の観光誘致事業などを手掛けた実績が ある。  現在、同社が具体案として挙げるのが農業の所作を変える研究で、縦横高さ 1メートル程度の「キューブ型の畝」をつくり、かがんだり、中腰になったり せずに農作業ができないか、近く実証実験に乗り出す方針である。若者に好か れる農作業の服装もデザインしていく。  同社の千布(ちふ)真也代表(36)は「自然豊かな河合谷でクールな農業 を研究したい。東京ではできない仕事で、デザインの技術を生かして事業の幅 を広げていきたい」と意気込む。  研究には、中央大理工学部都市環境学科の学生も協力する。21日には河合 谷地区出身の谷下雅義教授(48)のゼミ生8人が2泊3日の日程で現地入り し、住民が考える地域の魅力や生活の不便な点を聞き取りした。  同町上河合の慶専寺では、学生がエーミライトデザインの若手社員と意見交 換会を開き、村おこしに取り組む人材のあり方や、情報発信の方法などを探っ た。谷下教授は「アイデアをどういう形にしてビジネスに結び付けるのか、一 緒に考えたい」と話した。 〈10〉2015年08月23日(日)北國新聞朝刊----------------------------☆ ◎看護大生と住民が避難手順を確認 津幡町興津で訓練  津幡町興津(きょうづ)地区と県立看護大の垣花渉准教授ゼミの合同避難訓 練は22日、同町の土砂災害ハザードマップで地滑り警戒区域に指定される興 津地区で行われ、住民37人と学生13人が土砂災害発生時の避難経路や応急 処置の手順を再確認した。  訓練は同大の授業の一環で、昨年8月の広島市の土砂災害を受けて実施され た。豪雨により土砂崩れが発生した想定で行われ、住民は学生の誘導に従って 最寄りの避難所に移動した。被災した住民を即席の担架で運び出し、学生が応 急処置を施す救助訓練にも取り組んだ。  興津集会所では、住民がラップや新聞紙など日用品を使った止血法、簡易ギ プスの作り方を学生から教わった。垣花准教授ゼミは5年前から、興津地区の 住民と交流を続けている。 --------------------------------------------------------------------- ・この記事は北國新聞の記事データベース「ホッコクシンブン・ドットコム」  から抽出しました。申し込みはhttp://www.hokkokushimbun.com/まで。 ・北國新聞「津幡ニュース」の記事本文はすべて北國新聞社の著作物です。コ  ピーや加工、再配付はしないでください。 ・ふるさとメール「つばたメール1・2・SUN」の申し込みや解除は、津幡  町や北國新聞のホームページから行うことができます。   津幡町のホームページ  http://www.town.tsubata.ishikawa.jp/   北國新聞のホームページ http://www.hokkoku.co.jp/ ----------------------------------------------------------------------